上級公務員試験の得点を五〇点とすると、外国語としての英語試験(これは公務員試験ではなく、受験資格として受験者があらかじめ習得し提示する)の得点も五〇点とする。人民の僕として国民にさまざまなサービスをする予定の上級官僚志望者には、大学卒業までにTOEFLの得点を少なくとも五五〇〜七〇〇点くらいとらせようではないか。官僚トップになりたいという野心のある若者に、その程度を期待して悪いことはまったくない。たかが英語である。若い時期には、情熱と工夫と少しの努力があれば、たいていのことはなせばなるはずである。官僚にとって英語が必須と考える大きな理由は三つある。第一に、さまざまな政策課題をこなさなければならない官僚が、たいして英語ができないとしたらスキャンダルである。専門職貝が翻訳するのを待っているような、英語力のない官僚エリートは無能、少なくとも非効率的というのがグローバル化時代の常識になりつつある。人民自身は英語ができなくとも必ずしも恥じることはない。しかし、公僕である官僚は、人民のために人民に代わって何としてでも英語をしっかりマスターしなければならない。第二に、社会の品格は人民で決まる部分と、エリートで決まる部分がある。この半世紀の日本社会の弱さは後者にある。前者はもっと昔からその勤勉、廉直、そして強い責任感で日本社会の品格を高めてきたが、後者はそれほどでもなかった。エリートがグローバル化時代にふさわしい存在でないために、今日、日本の品格が低くみられがちなのである。第三に、いかに「官低政高」といわれても、やはり腐っても鯛で、官庁は日本社会のベースセンターの最重要のひとつである。この部分を戦略的に使って、グローバル化時代への適応をよくしようではないか。民間部門はすでに市場の力に押されて、時代への適応を迅速に進めている。ここで官庁の退行を何としてでも押し戻し、民間部門の適応にさらに弾みをつけるためにも、公務員試験の大変更は鍵となる。英語はそれとして、他の試験科目はどうすべきか。ここで詳説する余裕はないが、簡単にいうと、哲学、歴史、法律、経済、科学、技術が適当と私は考える。哲学、歴史なくして深みのあるエリートは生まれない。法律、経済なくして官僚の実務はこなしにくい。科学、技術なくして世の中の動きはわからない。いずれのテーマも日本の中だけに限定するのではなく、世界によく目を向けて扱うようにすべきである。これに伴って、公務員試験の出願方法は全面的に変更しなければならない。